お葬式の集合写真について、少しだけ…

葬儀社によっては、お葬式の際に
カメラマンが入り、集合写真や式当日の様子を
撮影してくれるところもあります。
正直に言うと、
お葬式の写真って、どんな顔をすればいいのか分からなくて、
私はちょっと苦手です。
それでも弊社では、
最後のお別れの前に
「よろしければ、お手持ちのスマホで
集合写真を撮りませんか?」
とご提案することがあります。
(状況によってはお声かけしない場合もあります)
もちろん、別途料金はいただいていません。
撮った写真は、ご親族同士で自由に
シェアしていただければと思っています。
なぜ、あえてご提案するのか
私自身が苦手なのに、
なぜそんなことをお勧めするのか。
それには、ちゃんと理由があります。
親族が一同に集まる機会は、意外と少ない
ご親族みなさんが集まる場面というのは、
考えてみると、
- 結婚式
- お葬式
この二つくらいしかありません。
そして、そういうときに撮った写真って、
不思議と捨てられず、
意外と残っていたりするものです。
昔の写真が、今になって出てくることもあります

これは、私の両親の結婚式の写真です。
実は、いとこが「捨てられなくて」と
ずっと持っていてくれて、
数年前に見せてもらいました。

そしてこちらは、
祖父の葬儀のときの写真。
数か月前、叔母の家に行った際に
「こんなの出てきたよ」と
見せてくれて、
「これが誰で、こっちが誰で」と、
しばらくみんなで話が弾みました。
「こんなことでもないと、集まらんけんね」
親族の方から、
よくこんな言葉を聞きます。
「こんなことでもないと、なかなか集まらんけんね」
「本当は、こんな機会はない方がいいんだけどね」
それでも私は、こう思うのです。
お葬式に親族が集うのは、
故人が最後につないでくれるご縁なのではないかと。
最後に、故人がつないでくれるもの
日頃はあまり交流のない親族同士が集まり、
血縁というご縁を、
あらためて感じる時間になる。
それは、
最後に故人が用意してくれた
大切な時間なのかもしれません。
写真は、あとから意味を持つこともあります
今はスマホで写真を撮ることが当たり前で、
現像する機会は減りました。
でも、
スマホの中やクラウド、
SNSでシェアしておけば、
何年後でも、何十年後でも、
その写真を見ることができます。
いつか、ふと見返したときに
何年か後、あるいは何十年か後。
その写真を見つけて、
「あぁ、あの時の父や母、きょうだい、
おじやおば、そして自分が写っているなぁ」
と、しみじみ感じる日が来るかもしれません。
そして、それを我が子に見せながら、
「この時は、まだ生まれてなかったんだよ」
なんて話をする日が来るかもしれません。
血縁というご縁を、そっと残すために
そのとき、
自分のルーツに興味を持ち、
血縁というご縁を、
少し深く感じる瞬間が生まれるかもしれません。
最後に故人が残してくれた、
そのご縁を大切にしていただきたい。
そんな思いから、
集合写真のご提案をさせていただいています。


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