成年後見人をお願いした「つもり」だった——手続きが抜け落ちていた場合に起こり得ること

お願いした“つもり”が、いちばん危ない

身寄りがなく、
「元気なうちに自分のことを決めておきたい」
そう考える方から、葬儀や散骨の事前相談を受けることがあります。

その中で、必ずと言っていいほど話題にのぼるのが
**「お金の管理を、誰に任せるか」**という問題です。

信頼している知人や、長年付き合いのある人。
「この人なら大丈夫」と思える存在がいることは、
とても心強いことでもあります。

けれど現場にいると、
**“信頼しているからこそ起きてしまう危うさ”**を感じる場面にも出会います。

今回は、
成年後見制度がきちんと使われていなかった場合に
実際に起こり得る、架空のケースをご紹介します。

実在の人物や出来事とは関係ありませんが、
制度上は決して珍しくない話です。

もし今、誰かにお金の管理を任せている、
あるいは任せようとしているなら、
ぜひ一度、立ち止まって読んでみてください。


たとえば、こんなケースです。

身寄りのない高齢者が、
「昔からの知人だから」
「一番信頼しているから」

そう言って、財産管理を任せました。

本人は「成年後見人をお願いしたつもり」でした。
しかし実際には、家庭裁判所への申立ては行われておらず、
正式な後見制度は開始されていませんでした。


起きていたのは、こんな状態

・銀行口座のキャッシュカードは知人が預かっている
・暗証番号も把握している
・出納の記録義務はない
・家庭裁判所への報告も不要

極端な話、
**お金は「使おうと思えば、いくらでも使える状態」**です。


本人は、気づいていなかったのか?

そうとも限りません。

「最近、通帳の残高が減るのが早い気がする」
「でも、全部必要な支払いなんだろう」

体力も思考力も少しずつ低下していく中で、
違和感があっても、はっきりとは言えない。

そして何より、
他に頼れる人がいない

「この人しかいない」
そう思っていれば、疑うこと自体が怖くなるものです。


これは犯罪の話ではありません

このケースは、
「悪意ある横領」の話ではありません。

多くの場合、

・本人のために使っているつもり
後でまとめて帳尻を合わせればいいと思っている
・そもそも制度の違いを理解していない

そんな「善意」と「曖昧さ」が重なった結果です。

しかし、
制度の外にある善意は、本人を守りません。


成年後見制度が「面倒」なのは理由がある

正式な成年後見人になると、

・お金の使い道を記録する
・家庭裁判所へ定期的に報告する
・勝手な判断はできない

正直、手間はかかります。

でもそれは、
本人のお金と人生を守るためのブレーキでもあります。


私たちが事前契約に慎重な理由

こうした「制度が始まっていない管理状態」は、
外からはとても分かりにくい。

だからこそ私たちは、

・身寄りのない方
・事前に費用をお預かりする契約

については、

「信頼している人がいるか」ではなく、
**「制度として守られているか」**を確認します。


最後に

「信頼しているから大丈夫」
その言葉が、
一番危うい場面もあります。

制度は冷たいように見えて、
実はとても現実的です。

守るべきものがあるとき、
人の善意だけに頼らない。

それもまた、
大切な“備え”のひとつだと、私たちは考えています。

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